2022年10月21日金曜日

髙橋組カウントダウン -あと1日-


こんばんは!
8日目は我が部長、髙橋佳士朗(SH)! 

Q. 佳士朗を一言で表すなら?
・岩佐「キャプテンシー溢れる立方体スクラムハーフ」
・李「巧みな話術で人を操るテクニシャン」
・越智「いいやつ」
・ひろき「パスうまいやつ」
・がい「熱い厚い男」
・佳士朗「イケメン天才高身長スクラムハーフ」
・れん「豆タンク」
・米田「高橋組部長」
そんな我らがキャプテン高橋佳士朗からご挨拶です。



51代目部長の高橋佳士朗です。
今からラグビー部での2年半を振り返りたいと思います。

千葉中出身だった僕は、高校入学前に千葉高の卓球部に早期入部していました。当然高校でも卓球をするつもりでしたが、一緒に入る予定だった友達全員が辞めると言い出し、1人でも続けるかどうか非常に悩みました。しかし1人でやっても楽しくないだろうと思い、結局卓球は辞めることにしました。
他に特にやりたいこともなかったので、帰宅部にするか、心を落ち着かせるために茶道か華道でも始めようかと本気で考えました。そんなときに千葉中卓球部の1つ上の先輩だった内田先輩にラグビーに誘われました。初めはラグビーなんてありえないと思っていたので、何度体験に誘われても理由をつけて逃げて頑なに行きませんでした。しかし、毎日のように教室に迎えにやってくる内田先輩、行かないことに逆ギレしてくる渡邊先輩に負け、「1度だけ」という気持ちで体験に行きました。するとなんということでしょう、信じられないくらい楽しかったのです。初めは親の反対もありましたが、かつての千葉中卓球部のチームメイトだった越智や拓翔が入部を決めていたこともあり、これなら高校生活を捧げる価値があるかなと、思い切って入部を決めました。

しかし、1年生の頃は辛いことがほとんどでした。体験のときはタグラグビーやタッチフットしかしなかったため、ラグビーの試合を見たことがなかった僕はそれがラグビーだと思っていました。それに先輩方も「ラグビーはこわくないよ。」「怪我なんてしないよ。」と言っていたので、初めて先輩方の激しいコンタクトを見た時は衝撃でした。あぁこれは騙されたなと思いました。1年生内でタックルの練習をするときは、本当に米田が嫌でした。こんなでかいやつどうやったら止まるんだ、と恐怖を感じていました。そして1年生は準備と片付け、さらに最後にグラウンド整備をやらなければいけなかったので、学校を出るのはいつも8時過ぎで毎日がしんどかったです。日々必死に生きていたので、辞めたいと思ったことも、みんなと辞めようぜなんて冗談交じりに話したことも何度もありました。でもここで辞めたら負けな気がして、学校にも部活にも毎日休むことなく行きました。
矢崎組の先輩方は雲の上のような存在で、憧れでした。為成先生も矢崎部長も練習の時から常に「ベスト4のプライドを持って。そしてもう一度ベスト4へ。」と口に出していて、先輩方のラグビーにかける思いをひしひしと感じました。矢崎組最後の試合となった東京学館浦安戦は、ベンチから応援することしかできませんでしたが、たった3点の差で涙を飲んだ先輩方を見て悔しい気持ちでいっぱいになりました。そして自分も強くなりたい、勝ちたいと思うようになりました。

代が変わり内田組がスタートし、人数がぴったりしかいなかったためいきなり試合に出るようになりました。初めは分からないことだらけでしたが、試合を重ね理解していくうちにどんどんラグビーが楽しくなりました。
内田組の先輩方は本当に優しく、面白く、毎日の部活が楽しみでした。特に内田先輩は自主練やウエイトにたくさん誘って下さり嬉しかったです。
人数が少なく思うように練習が出来ず、大会でもなかなかいい成績を残せずに辛い時もありました。パスが下手でFWや矢野先輩にたくさん迷惑をかけてしまい、責任を感じることもありました。それでも、矢崎組が達成出来なかったベスト4の舞台に立つために、高い目標を持ち続けて日々の練習に取り組みました。
そして迎えた秋の全国予選東海大浦安戦。シード校を倒すためにやれるだけの準備をしましたが、結果は5対26で敗戦。涙が止まりませんでした。自分が抜かれたのがトライに直結してしまった場面もあり、先輩方に対する申し訳なさしかありませんでした。試合後内田先輩に、「お前たちは今年から主力だったんだから来年もっと強い。頑張れ。ありがとう。」と涙ながらに声をかけられたのは今でもはっきりと覚えています。

内田組が引退し、気付けば自分たちの代になっていました。新チームが始まって少しして、その日の日替わりキャプテンだった僕が為成先生のもとに行くと、「あ、言っとくね、佳士朗がキャプテンだから。よろしく。」と唐突に言われました。驚きはありましたが、中学で部長をやっていたこともあり、抵抗はありませんでした。ですが、強烈なタックルで常に体でチームを引っ張てきた矢崎先輩や内田先輩のように自分がなれるのか、という不安はありました。でも指名されたからにはやるしかないと前向きに頑張ることにしました。
僕ら51代目が掲げた目標ももちろんベスト4でした。矢崎組、内田組の借りを返すため、そして県千葉として10年振りの全国予選ベスト4を達成するため、本気で取り組んでいこうとみんなで決めました。
しかし、ありえないくらいの困難の連続でした。ひろきとがいが腰椎分離で離脱し、新人戦は県大会1回戦敗退。遅刻、ズル休みは当たり前、準備もできない、挨拶もできない、辛いとすぐに辞めると言い出す2年生。何より辛かったのは、顧問の為成先生の異動です。先生のいない部活は考えられなかったので、この時は本当に辞めようと思いました。さらに1年生の勧誘に失敗しまさかの新入部員0人。例年以上に工夫し頑張った結果だったので、落ち込みました。2.3年生だけでは15人に足りず、昨年以上に人数に困ることになりました。そして結局2年生から退部者も出てチームはどん底にいました。
顧問の先生が森田先生に変わって迎えた関東予選。新たな助っ人を加えてなんとか15人揃え、まずはベスト8を目標に臨みました。初戦に勝利し迎えたベスト8決定戦はまさかのコロナによる相手チームの棄権で不戦勝。目標だったベスト8と秋の全国予選のシード権を獲得しました。この時思っていることは皆同じでした。運もあったがここまで来たんだったら、次も勝ってベスト4に行ってやる、そう新たに目標を定め、バラバラだったチームがひとつになって練習に取り組みました。結果は36対34、2点差で勝利しました。この時の喜びは一生忘れないと思います。ずっと言い続けてきたベスト4の舞台に立てたことは、今までの人生で1番嬉しかったです。

そして7人制大会、夏の市内大会が終わり、今秋の全国予選を迎えようとしています。コロナや人数不足で夏は思うように練習ができませんでした。練習試合ひとつするのにも、助っ人やOBの力を借りなければならず、ラグビーのプレー以外の面で過去最高に苦労した代だと思います。それでも諦めずにここまでやってきて、最後の大会を無事に迎えられることを嬉しく思います。あんなにひどかった2年生も変わってくれて、今では頼れる後輩です。

春のベスト4という自負はありません。県千葉ラグビー部というプライドを持って、最後の大会も初戦からチャレンジャーとして戦います。そして必ずもう一度ベスト4へ行きます。
勝ち上がると戦う可能性のある幕張総合高校は、7人制大会で引き分けの末、僕がハズレくじを引いて負けた相手です。この借りは必ず返します。

最後になりますが、今まで支えて下さった先生方、先輩方、たくさんのOBの方々、マネージャー、助っ人のみんな、応援してくれた家族に本当に感謝しています。勝利で恩返ししたいと思います。ありがとうございました。



読んでいただきありがとうございました!
ここで、マネージャーからも思いを綴らせて頂きたいと思います。もう少しお付き合いください。 

平山香乃(MG)
ラグビー部の大黒柱であり、先生や部員からの信頼も厚い。温厚な性格で誰も怒っているのを見たことがない。実は双子。


マネージャーの平山香乃です。
私も今までを振り返って今の思いを文章にしたので、読んでいただけると嬉しいです。

まずラグビー部に入った経緯についてお話ししたいと思います。
私は中学の頃から、高校は土日に活動がない部活に入ろうと決めていて、最初は緩めの文化部に入ってました。そして1ヶ月くらいしてから部員に声をかけてもらい見学に行きました。初めはとりあえず行こうという軽い気持ちでしたが、先輩マネージャーが楽しそうに部活について話してくれて、雰囲気もとても良くて興味を持ちました。その後も見学に行きましたが、私は人見知りで大声も出すのも苦手なので、マネージャーは向いてないと思い、入るかすごく悩みました。でもなぜかここで入らなかったら後悔すると思い、入る決断をしました。本当にラグビー部に入るか入らないか、高校生活で1番悩んだかなと思います。周りの人にマネージャーをすると言うと、みんなに驚かれましたが、今となれば入る決断をして良かったです。

その後、マネージャーとして活動するようになりましたが、初めは兼部していたこともあり、多く休んでいて迷惑をかけました。テーピングの仕方やスコアの書き方も何もわからず、ただただ先輩の後を追ってました。入ったのが7月末だったのもあり、気づいたら夏休みも過ぎて矢崎組最後の大会になっていました。今となって振り返ってみると、もう少し何かできたのではないかと後悔しています。
それからは段々仕事を任せられることも多くなり、ラグビーの知識も増えて、ようやくマネージャーになれたかなと感じてました。そして何より部員、OBや保護者の皆さんが「ありがとう」と言ってくれることが嬉しかったです。重い荷物を持ってるといつも部員が手伝ってくれて幸せ者だなと思ってました。
また、先輩方にも優しくしていただいて、沢山のことを学びました。先輩方は細いことにすぐ気づいて、対応力もすごくて今でも憧れです。ありがとうございました。

最高学年となってからは、今まで先輩を頼っていたことを自分でやるようになり、相手の監督さんと話す時にこの敬語で合ってるかなとか、部活で不足してるものないかなとか、考えることが多くなりました。また、部を引っ張る同級生や後輩の姿を見て、ラグビー部の存在が自分の中でより大きくなりました。そして今でも忘れられないのが春の八千代松陰戦です。その時は高台でビデオを撮っていたのですが、その時の光景をずっと覚えてます。試合終了の笛が鳴った後、一気に沸く大きな歓声やみんなが本気で喜ぶ姿、先生方の笑顔。今までで1番感動した光景だったと思います。今年の代はコロナで合宿や遠くの遠征は行けなかったけど、それでも数え切れないくらい思い出があります。特に食べ放題に行った時は部員の頼む量や白米の量に驚きました。どれも全部楽しかったです。
3年生は色んな人がいますが、近くで見ていて、みんなが他のことを犠牲にしながらも本気でラグビーと向き合っているなと感じます。練習後も遅くまで残って練習したり、昼休みにウエイトしたり、合間を縫って勉強していて、そんな部員の姿を見て、いつも頑張らないとなと思ってました。
3年生。私はマネージャーっぽくなかったかもしれないけど、誰よりも近くでみんなを見れて、たまには頼ってくれて嬉しかったです。ありがとう。あと少ししかないけど、これからも応援してます。頑張れ!

後輩マネージャーへ
後輩マネとは先輩後輩関係ないくらい仲良くて、趣味も同じで、私は勝手に大親友だと思ってます。率先して仕事をしてくれて、色んな場面で助けてもらいました。髙橋組は人数も少なくて、本来3年マネがやる仕事を頼んだり、責任が大きかったりと大変なこともあったと思うけど、後輩マネがいたから2人で選手のサポートができたと思います。絢音ちゃん。本当に2年間ありがとう。一緒に過ごした時間は宝物です。
大大大好き!笑

また、OBの方々や先生方、保護者の皆様の支えがあってラグビー部は活動できていると日々感じてました。ありがとうございました。最後ですが、3年間振り返って、本当にラグビー部に入ってよかったです。高校生活は部活中心で、大切な仲間に出会うことができ、またマネージャーの仕事を通して少しは人として成長できたかなと思います。ラグビー部に誘ってくれた部員、ありがとう。もう少しで引退で、もうマネージャーができないと思うと悲しいですが、最後まで全力で選手を支えたいと思います。


8日間ありがとうございました。
遂に明日、髙橋組最後の大会が始まります。泣いても笑っても負けたら引退です。今までの練習を糧に最後まで駆け抜けます!応援よろしくお願いします。