2022年10月15日土曜日

髙橋組カウントダウン -あと7日-



こんばんは!
2日目は岩佐達樹(FL)!
ラグビー歴9年の大ベテラン。ラグビーが嫌いで高校では水泳部に入部するも、部員の情熱に負けて助っ人参加を決意。潜水タックルでチームを引っ張る仕事人。




助っ人として2年の冬からラグビー部に参加させてもらっている岩佐です。
ラグビーは小学1年生から中学2年生までクラブチームでやっていました。そこら辺の高校ラグビー部員より楕円球と触れ合ってきた期間は長いのですが、8年間圧倒的モチベーションの低さでラグビーをやっていたので、全く強くありません。こんなに長い期間やっていたにも関わらず、ここまで弱いのは相当才能がなかったのでしょう。

岩佐少年は、外で鬼ごっこをするよりも、室内でお絵描きをしているほうが好きでした。そんな息子をみて、両親はなにかスポーツをやらせようと考え、僕を佐倉市ラグビースクールに連れて行ったのだと思います。母がサッカーは足しか使えないけど、ラグビーは手も足も使っていいのだと教えてくれたのを覚えています。岩佐少年はラグビーは何か特別なスポーツであると感じて、ラグビースクールに入ることになりました。(僕が試合でボールを蹴ることはありませんでした。)しかし、岩佐少年はすぐにラグビーは痛いということに気付きます。

毎週日曜日にラグビーの練習という地獄がやってくる小学校6年間でした。なぜ僕はこの生活に耐えられたのかは謎です。人生の7分の1が地獄の練習日という日々はどう考えても最悪です。小学校を卒業するまでは辞めさせないと親に言われていたので、卒業したら絶対にラグビーは辞めてやると決めていました。同学年の人たちは当たり前のように中学生のラグビークラブに入ることをきめていました。

結論から申し上げますと、小学六年生の岩佐少年は(中学受験をしていないので)頭が悪かったので、人生最大の判断ミスを犯してしまい、中学生のラグビークラブチームに入ることになりました。その後どうなったかは、ここには書けそうにありません。県千葉でラグビー部の練習に行こうと決めた日に、クラブチームでの記憶は全て削除しておきました。当時のことを思い出してしまうと、ラグビーをやるなんてことは到底無理です。今までに感じたことのない恐怖と孤独と劣等感を感じながらラグビーをやっていたということは確かです。ラグビーが下手な僕は、チームメイトの輪から外れ、今まで仲間だと思っていた人がどんどん遠ざかっていくのを感じました。

中学2年生の秋に限界を迎え、もう二度とラグビーに関わらないと心に誓って、ラグビーをやめました。ここでラグビーをやめるということは、両親を始め多くの人に迷惑をかけることになりましたが、チームを去った日には8年間感じることのできなかった解放感を感じることができました。
心の平穏を取り戻した僕は、勉強に集中できるようになり、無事第一志望の県千葉に合格できました。

高校でラグビー部以外のどの部活に入ろうか迷っていた僕は、ラグビー部の猛烈な勧誘から逃げきって、結局水泳部に入ることにしました。県千葉のラグビー関係者の人に僕がラグビー経験者であることがバレていて、無理矢理ラグビー部に連れて行かれないかと恐れていましたが、そのようなことはありませんでした。

しかし、母親が買ってきたCanterburyのTシャツを何も考えずに着て学校に行った日に、同じクラスだった森浦ガイにラグビー経験者であることがバレてしまいます。その時僕はCanterburyがラグビーのスポーツブランドであることを知らなかったのです。(あまりにもラグビーに興味がなかったので。)僕が彼に絶対にラグビー部には入れないという事情を話すと、彼はいいヤツなので、ラグビー部の先輩にはこのことを秘密にしてくれていました。

しかし、時が経つにつれて、僕がラグビー経験者でラグビーが嫌すぎてやめたという話は徐々に広まっていきます。1年生のときにクラスが一緒だったガイとヒロキは常に、ラグビー部に入ろうよ!と僕に言っていました。僕がラグビー経験者であることはネタ扱いされていましたが、笑い事ではありません。ラグビーには二度と関わらないと心に誓っていたので、絶対に入らないと言い続けていました。

しかし2年生の秋に、ラグビー部が人数不足で助っ人を必要としており、岩佐をラグビー部に入れようとする動きが真剣になってくるのを感じました。そのときはすでに佳士郎と知り合いになっていたので、彼からは入部しなくていいから練習に来てくれと頼まれていました。これほど頼まれて、勝手な理由で断り続けるのは申し訳なさすぎると思いました。また、僕が練習に参加することで彼らのためになるのだという気持ちもありました。佳士郎が言うには、他にも助っ人がいるから、僕はベンチでいいと。(これはウソでした。)当時クラスで居場所を失っていた僕は、今までのことは全て忘れて、少しでも練習に参加しようと決意しました。

こんな理由でラグビーを始めましたが、練習に行く前は、ラグビーをもう一度始めてしまったことに後悔するだろうなと思っていました。それを覚悟で決めたことです。しかし、ラグビー部に行きたくないなどと思ったことは一度もありませんでした。ラグビー部の人たちは全員あまりにもいいヤツ過ぎたからです。ラグビー部の仲間と過ごす時間は本当に楽しくて、あの雰囲気が大好きです。ラグビーはいまだに怖くて痛いですが、ラグビーは痛いのでやっぱりやめたいなんて言葉は出てきませんでした。県千葉ラグビー部じゃなければ、僕はラグビーを続けることなんて出来なかったでしょう。チームの皆が友達なら、きつい練習も乗り越えることができてしまうようです。県千葉でラグビーをやって初めて、試合に勝ったときに心から喜べました。特に八千代松蔭戦での勝利は一生忘れられない思い出です。

僕は、小中学校での辛い経験を乗り越えてもう一度ラグビーと向き合えた、なんて立派なことは言えません。ラグビーをやっていた8年間で植え付けられたトラウマは忘れられません。しかし、県千葉ラグビーの仲間や先生方がラグビーを丁寧に教えてくださり、いつもサポートしてくださったおかげで、毎日の部活を楽しむことができました。部員のみんなや先生方にはとても感謝しています。

親がこれを読んでいるかわかりませんが、、、
小学1年生からの8年間、ラグビーをやめさせないでくれてありがとう。毎週死にそうな顔で練習に行く僕はみっともない息子だったけど、そんな僕をいつもサポートしてくれてありがとう。確かに辛い思い出ばかりだったけど、ラグビーをやっていなければ出会えなかった仲間や、感じることができなかった喜びがありました。県千葉でラグビーを出来たということだけでも、今までラグビーをやってきた意味があったと思えるようになりました。

本当はもっとラグビー部での思い出を語るべきなのですが、自分のことばかりになってしまいた。すいません。

大会で全力を出せるように、最後まで頑張ります。応援よろしくお願いします。



読んでいただきありがとうございました。明日もお楽しみに!