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遠い未来の話だと思っていた自分達の代の花園予選がもうすぐ始まると思うと、寂しい気持ちも高揚感、緊張感など色々な感情が混ざって不思議な感じがします。この場で言うべきことではないかもしれませんが、やっと解放されるのかという感情も正直なところあります。それだけ、51期のみんなとは多くの大きな困難を乗り越えてきました。今日は僕のラグビー部での3年間を振り返っていこうと思います。
中学の頃サッカーをやっていた僕は、サッカー部に早期入部しており、そのままサッカーを続けるようと思っていました。しかし中学の部活が緩く、サッカー部でやっていく自信がなかったため他の部活に入ろうかなと揺れていました。そこで小学生の頃やっていたラグビーの楽しさを思い出し、高校でもやってみようかなと思い、何となく入部しました。先輩たちが優しく、3年生までもが1年生に積極的に話しかけてくださり、その雰囲気がとても好きでした。矢崎組の先輩達は強く、優しく、「2年後にはこうなっていたい」と思わせてくれる憧れの先輩方でした。今までずっと「ベスト4になりたい」と思い続けることができたのは、間違いなく矢崎組への憧れがあったからだと思います。
そうして内田組になるわけですが、人数も多く活気のあった部活が一気に小規模になってしまった衝撃を今でも覚えています。今まで引っ張ってもらう立場だったのが一転し、主体的にラグビーをしなければならない立場になりました。しかし、このおかげで活躍する場面も増えて自信もつき、大きく成長できました。特に、U17に選ばれたのはとても自信になり、モチベーションにもなりました。しかし、楽しいことばかりではありませんでした。地獄の勧誘期間、ザッキャの退部、市松との練習試合、怪我など辛いこともたくさんありました。特に勧誘期間、1年生がなかなか入らず、先輩達が引退してしまったらどうなってしまうのだろうと考え、家で1人で泣いていたのを思い出します。この勧誘期間は本当にしんどかったです。入ってくれた2年生には心から感謝しています。そんな辛い状況の中でも、先輩達は僕らが道を外れないように共に歩んでくれました。特に内田先輩が練習後にウエイトに連れて行ってくれたのは良い思い出です。今になって、あの状況でキャプテンになり弱音1つ吐かずチームを引っ張り続けた内田先輩はすごいなと思います。そして迎えた花園予選、東海大浦安戦は今までにないくらい勝ちたくて、何度も何度も東海大浦安のビデオを見て作戦を立てました。それでも勝つことができず、悔しかったのはもちろんですが、先輩達がいなくなってしまう寂しさで涙が止まりませんでした。
そして、最高学年となり、高橋組が始動しました。正直ここからは「ラグビー部員であり続けること」に大きな労力を割きました。大会に参加すること、練習試合をすること、タッチフットをすること、今まで当たり前だったことが当たり前にできなくなりました。人数が少ないからか部員のモチベーションも上がらず、活気に満ちていた頃のラグビー部は姿を消しました。部室で何度「みんなで辞めようぜ」と話したか分かりません。受験勉強を犠牲にするだけの価値があるのか、やりがいがあるのかと聞かれた時に肯定できなかった時期もありました。それでも今まで続けてきたのは、仲間がいたから、意地、ラグビーが好きだから、正直辞められる状況じゃなかった、、などなどたくさん理由はありますが、やっぱり1番は春大の松蔭に勝った時の嬉しさが忘れられないからだと思います。あの時、「ラグビーをやってて本当に良かった」と初めて思えました。秋にもう一度あの舞台に立ちたくて、今まで多くのことを犠牲にしながらも踏ん張り続けて来ました。だから、後悔なく、笑顔で引退を迎えられるよう、全試合全力で挑みます。
長く拙い文章となってしまいましたが、最後に今までお世話になった方々への感謝の気持ちを書いて終わりたいと思います。
OBの方々
物品類のサポート、練習での指導に加えて今年は助っ人として試合に出ていただく機会もあり、多くの人に支えられてラグビーができていることを実感出来ました。ありがとうございました。
先生方
日々の指導からは、ラグビーのことだけでなくオフザピッチのことも多く学びました。ラグビーを楽しむことを忘れず、教わったことを発揮できるよう頑張ります。
家族
いつも家に帰ると当たり前のようにご飯が準備してあったり、お風呂がわいてたり、家族のおかげでラグビーができているのだなと感じます。いつもありがとう。
マネージャー
ウォーターを準備してくれたり、テーピングをしてくれたりと部員が不自由なくラグビーをできる環境を作ってくれてありがとう。自分がプレーする訳でもないのに、泥臭い僕達に尽くしてくれて本当に感謝しかないです。
2年生
最初の方は、ラグビーへのやる気が感じられず、注意されても不貞腐れたり、声出さなかったり、サボったり本当に大変な代でした。2年生達自身もモチベーションが上がらない中で続けてくるのは大変だったと思います。でも徐々にラグビーに関心を持つようになってきて、プレーの面でもどんどん良くなってきているから、あとは自信を持つだけ。一緒にラグビーができる残りの期間を最大限楽しもう。俺達が引退した後、合同チームになってしまうけど、なんとか続けてくれたら嬉しいです。
3年生
ラグビーが好きな人が多くて、普通に仲が良くてこの代だから「辞めようぜ」とか言いながらもラグビーを続けられました。特に、佳士朗が居なかったら絶対部は成り立ってなかったし、マジで佳士朗が部長でよかったと思ってます。部室でグダグダしたり、飯食いに行ったり(何百回行ったんだろう)、一発ギャグ動画を作るのに何時間も使ったり、本当に楽しかったです。ありがとう。
本当に長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。これから始まる大会、全力で頑張りますので応援よろしくお願いします。
遠い未来の話だと思っていた自分達の代の花園予選がもうすぐ始まると思うと、寂しい気持ちも高揚感、緊張感など色々な感情が混ざって不思議な感じがします。この場で言うべきことではないかもしれませんが、やっと解放されるのかという感情も正直なところあります。それだけ、51期のみんなとは多くの大きな困難を乗り越えてきました。今日は僕のラグビー部での3年間を振り返っていこうと思います。
中学の頃サッカーをやっていた僕は、サッカー部に早期入部しており、そのままサッカーを続けるようと思っていました。しかし中学の部活が緩く、サッカー部でやっていく自信がなかったため他の部活に入ろうかなと揺れていました。そこで小学生の頃やっていたラグビーの楽しさを思い出し、高校でもやってみようかなと思い、何となく入部しました。先輩たちが優しく、3年生までもが1年生に積極的に話しかけてくださり、その雰囲気がとても好きでした。矢崎組の先輩達は強く、優しく、「2年後にはこうなっていたい」と思わせてくれる憧れの先輩方でした。今までずっと「ベスト4になりたい」と思い続けることができたのは、間違いなく矢崎組への憧れがあったからだと思います。
そうして内田組になるわけですが、人数も多く活気のあった部活が一気に小規模になってしまった衝撃を今でも覚えています。今まで引っ張ってもらう立場だったのが一転し、主体的にラグビーをしなければならない立場になりました。しかし、このおかげで活躍する場面も増えて自信もつき、大きく成長できました。特に、U17に選ばれたのはとても自信になり、モチベーションにもなりました。しかし、楽しいことばかりではありませんでした。地獄の勧誘期間、ザッキャの退部、市松との練習試合、怪我など辛いこともたくさんありました。特に勧誘期間、1年生がなかなか入らず、先輩達が引退してしまったらどうなってしまうのだろうと考え、家で1人で泣いていたのを思い出します。この勧誘期間は本当にしんどかったです。入ってくれた2年生には心から感謝しています。そんな辛い状況の中でも、先輩達は僕らが道を外れないように共に歩んでくれました。特に内田先輩が練習後にウエイトに連れて行ってくれたのは良い思い出です。今になって、あの状況でキャプテンになり弱音1つ吐かずチームを引っ張り続けた内田先輩はすごいなと思います。そして迎えた花園予選、東海大浦安戦は今までにないくらい勝ちたくて、何度も何度も東海大浦安のビデオを見て作戦を立てました。それでも勝つことができず、悔しかったのはもちろんですが、先輩達がいなくなってしまう寂しさで涙が止まりませんでした。
そして、最高学年となり、高橋組が始動しました。正直ここからは「ラグビー部員であり続けること」に大きな労力を割きました。大会に参加すること、練習試合をすること、タッチフットをすること、今まで当たり前だったことが当たり前にできなくなりました。人数が少ないからか部員のモチベーションも上がらず、活気に満ちていた頃のラグビー部は姿を消しました。部室で何度「みんなで辞めようぜ」と話したか分かりません。受験勉強を犠牲にするだけの価値があるのか、やりがいがあるのかと聞かれた時に肯定できなかった時期もありました。それでも今まで続けてきたのは、仲間がいたから、意地、ラグビーが好きだから、正直辞められる状況じゃなかった、、などなどたくさん理由はありますが、やっぱり1番は春大の松蔭に勝った時の嬉しさが忘れられないからだと思います。あの時、「ラグビーをやってて本当に良かった」と初めて思えました。秋にもう一度あの舞台に立ちたくて、今まで多くのことを犠牲にしながらも踏ん張り続けて来ました。だから、後悔なく、笑顔で引退を迎えられるよう、全試合全力で挑みます。
長く拙い文章となってしまいましたが、最後に今までお世話になった方々への感謝の気持ちを書いて終わりたいと思います。
OBの方々
物品類のサポート、練習での指導に加えて今年は助っ人として試合に出ていただく機会もあり、多くの人に支えられてラグビーができていることを実感出来ました。ありがとうございました。
先生方
日々の指導からは、ラグビーのことだけでなくオフザピッチのことも多く学びました。ラグビーを楽しむことを忘れず、教わったことを発揮できるよう頑張ります。
家族
いつも家に帰ると当たり前のようにご飯が準備してあったり、お風呂がわいてたり、家族のおかげでラグビーができているのだなと感じます。いつもありがとう。
マネージャー
ウォーターを準備してくれたり、テーピングをしてくれたりと部員が不自由なくラグビーをできる環境を作ってくれてありがとう。自分がプレーする訳でもないのに、泥臭い僕達に尽くしてくれて本当に感謝しかないです。
2年生
最初の方は、ラグビーへのやる気が感じられず、注意されても不貞腐れたり、声出さなかったり、サボったり本当に大変な代でした。2年生達自身もモチベーションが上がらない中で続けてくるのは大変だったと思います。でも徐々にラグビーに関心を持つようになってきて、プレーの面でもどんどん良くなってきているから、あとは自信を持つだけ。一緒にラグビーができる残りの期間を最大限楽しもう。俺達が引退した後、合同チームになってしまうけど、なんとか続けてくれたら嬉しいです。
3年生
ラグビーが好きな人が多くて、普通に仲が良くてこの代だから「辞めようぜ」とか言いながらもラグビーを続けられました。特に、佳士朗が居なかったら絶対部は成り立ってなかったし、マジで佳士朗が部長でよかったと思ってます。部室でグダグダしたり、飯食いに行ったり(何百回行ったんだろう)、一発ギャグ動画を作るのに何時間も使ったり、本当に楽しかったです。ありがとう。
本当に長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございます。これから始まる大会、全力で頑張りますので応援よろしくお願いします。
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読んでいただきありがとうございました。明日もお楽しみに!