2022年10月16日日曜日

髙橋組カウントダウン -あと6日-


こんばんは!
3日目は米田和博(PR)!
普段から何を考えているかわからない彼は、よく意味不明な行動をとる。しかしラグビーとなると圧倒的パワーで相手を粉砕する心優しきモンスター。県千葉伝統のモールは彼なくしては成り立たない。



こんにちは。高橋組の米田和博です。
毎年先輩方のカウントダウンを見てこのブログを書くのは遠い未来のことだと思っていましたが、とうとう自分達の代の番が来てしまいました。時の流れの早さを痛感しています。
今だからこそこんなことを言えますが思い返せば、ラグビー部で過ごす時間全てが辛く、早く引退できればいいのにと考えていた時期もありました。そんな中でも支えてくれた人や仲間達への感謝の気持ちを込めつつ、このブログを書くことにします。
昔から僕は自分の体格に自信があり、それこそラグビーといったコンタクトスポーツに向いていると薄々思っていました。(若気の至り。)時は流れ、高校に入学し、矢崎組の先輩方のラグビーを楽しむ姿に魅了され、勢いに身をまかせ、誰よりも早く入部しました。この頃の何も知らなかった僕は今では考えられないくらい自信とエネルギーに満ち溢れていました。(きっと休校期間中に有り余ったもの。)この頃の軽率な態度のせいでみんなの不信感を募らせてしまいました。この場を借りてお詫び申し上げます。とにかく根拠の無い自信と後先考えない行動でこの時期はなんとかしていたように思えます。ところが、そうこうしているうちに僕の部内での雲行きが怪しくなってきました。まず足首を捻挫し1ヶ月半ほどラグビーの練習に参加できませんでした。この間に部員達との技術の差は開いていき、とても楽観的なことを言っている場合ではなくなっていました。初めはなんとなく練習がめんどくさいから無理するのをやめようと思っていましたが、塵も積もれば山となるとはまさにこのことで気付いたときには簡単に取り戻せないほどの差が生まれていました。そんな中、矢崎組が引退し、内田組が始動しました。内田組になってからは部員が一気に矢崎組のときの半分になり、自動的に試合に出ることになりました。しかし、僕はタックルはおろか体を当てることさえできず、毎日古田先生や為成先生、内田組の先輩に怒鳴られてばかりで自分の無力さに打ちひしがれていました。特に先生方には入部した当初から「体重が重くていいね。期待しているぞ。」と期待していただいていた分、余計に悔しかったです。この時期は毎日部活に行くのが本当に苦痛でした。自分の現状を何一つ変えることができずに、季節は流れていき、2年生の秋を迎えました。しかし、少しずつですが、自分の中で良い兆しが見えていたように思います。特に内田組の壮行会で古田先生賞を受賞したとき、まだ自分にはチャンスが残っているのだと、もう一度みんなと同じ熱量を持って戦いたいと強く思ったことは忘れられません。古田先生僕を選んでくださってありがとうございました。その少し後、内田組の花園予選の初戦、千葉工業戦でチーム1本目のトライを取った時、僕はラグビーが好きになりました。あの日、今日のヒーローはお前だと言ってくれた野口先輩、笑顔でボールを拾いに来た矢野先輩、俺がトライする姿を見て泣いた雅日、自分の差し入れを「やるよ」とくれた渡邉先輩、これらどの瞬間も今も鮮明に覚えています。「やめなくてよかった、最後まで戦い抜こう」そう決意した瞬間でもありました。東海大浦安戦の日のアップの時、内田先輩と野口先輩に「米田、今ラグビー好き?」と聞かれ、「もちろんです。まだまだ一緒にラグビーやりましょう。」と僕は答えました。小説やドラマでこういった類いの発言をすると所謂フラグとなってしまいがちですが、実際この日が内田組最後の日となってしまったので、自分が気を利かせて他の応答をすれば良かったとずっと後悔しています。高橋組が始動してからは新しい悩みや不安が増えました。端的に言うと、来て欲しい人に来てもらえず、来なくていい人に限って来てしまうといったところでしょうか。それでも春の大会では組み合わせや対戦相手の棄権などさまざまな要因が積み重なって県千葉ラグビー部の目標であるベスト4まで手が届くところまで来ました。ベスト4を決めた八千代松蔭戦のときが部員全員が一番一致団結したときではないかと思っています。そこから、セブンスの大会、夏休み、市内大会を経て(途中コロナや体調不良、怪我等で離脱する人もいましたが)ここまで来ました。ここまでの二年間が一瞬で過ぎ去ったので、残りの二週間は瞬きする間に迎えているのでしょう。
ここで、みんなへのメッセージを書こうと思います。
磯金。いつも真面目に筋トレしてストイックに自分の役割を全うしていてとても尊敬しています。ウエイトのペアとして、PRの相棒として、本当にありがとう。
優太郎。辞めたいと思っていた気持ちよくわかります。でもここまでついてきてくれてありがとう。腰気をつけてね。
柴山。いつも体育祭実行委員大変ですね。嫌なことを耐えて頑張る姿が印象的でした。頼りない先輩なのに敬ってくれてありがとう。
慧士。もう少し本気の顔見たいです。多分全力じゃないのに上手なプレーができるのだから、本気出したら絶対強いはず。最後までいてくれてありがとう。
健太。先輩や先生との接し方が一番上手いのではないでしょうか?健太の👍嫌いじゃなかったです。スローをどんどん上達させてくれてありがとう。
新。よく笑ってよく泣いてるイメージが強いです。高橋組の最後は笑って終わろう!なんでも言ってくれてありがとう。肩抜けないようにね。
もっちー。最初誰かわからなくてごめんなさい。スクラムのFLの押し方、最初からめちゃくちゃ良かったです。仲間になってくれてありがとう。
佳士朗。塾行く前に公園でコンビニのご飯食べる時間が好きでした。試合中に何回も怒鳴らせてごめん。それでも優しくしてくれてありがとう。
雅日。なんでもできるの尊敬してます。自分は不器用なので信じられません。工業戦のトライで泣いてくれてありがとう。
大樹。唯一の外進生として接しやすかったです。二人で豚骨ラーメンを食べに行ったことが懐かしいです。構ってくれてありがとう。
ザッキャ。去年は同じクラスで少し仲良くなれたかと僕は思います。そちらはどうでしょうか?退部しても試合に出続けてくれてありがとう。
岩佐。去年も隣のクラスでも仲良くしてくれて修学旅行も少し一緒にまわれたのが楽しかったです。ここまで一緒に戦ってくれてありがとう。
タクト。進撃の巨人をネタバレしたこと反省しています。ごめんなさい。試合中、スクラムやラインアウトで引っ張ってくれてありがとう。
越智。越智の生き方が一番好きです。傷心の僕を冗談で一蹴してくれて心が軽くなりました。みんなを奮い立たせてくれてありがとう。
マネージャーのみなさん。テーピングのおかげで試合に出られました。いつも優しくしてくれてありがとう。
先生方、いつもご指導いただきありがとうございます。
お母さん。洗濯、弁当作り、2年半毎日やってくれてありがとう。心配しながらも応援してくれてありがとう。いつも泥だらけで、弁当も量が多く大変だったと思います。ここまでできたのは、お母さんの協力があったからです。ありがとうございました。
今は県千葉ラグビー部に関わってくれた全ての人に感謝の気持ちでいっぱいです。
今回のブログを書くにあたって、何を書こうかずっと考えていたのですが、いざ書き始めてみると今まで見てきた景色がありありと目に浮かぶものですね。歴代の先輩達がそれぞれの思い出を書いているのを見て文才のない自分も書けるか不安でしたがどうにか書けました。
今ではラグビー部で過ごす全ての時間がとてつもなく楽しくまだまだ引退したくないと考えています。最後の大会を迎える直前で自分の課題も残っていますが、最後まで戦い抜きます。笑うつもりでいてもきっと泣くと思いますが、悔し泣きでなく嬉し泣きで最後の瞬間を迎えたいです。
長文となってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。3年米田でした。



ありがとうございました!明日もお楽しみに!