3年SO,CTBの坂田です。3年間のラグビー部でのことについて書きたいと思います。
1年生のときは先輩に勧誘され練習し、コンタクトプレーのことなどを考えずに、部の雰囲気が良かったので入部しました。練習が始まると、帰る時間が遅かったり、タックルが痛かったりということはありましたが、同期内で仲がいいこともあってか、あまりつらいとか辞めたいといったことは思いませんでした。矢崎組の最後の試合では、強い先輩たちが負けるのが信じられなくとても悔しかったです。この頃からラグビーに対する熱が高まっていったのかと思います。
内田組になってからはセンターとして試合に出ました。当時はだいぶ細かったので、新人戦で八千代松蔭のトイメンを見たときはでかすぎてビビりました。この試合の後から増量することを重視し、食べる量を増やしました。確かに体重はチームで一番増えましたが、筋肉の量がついてこず、怪我も増えたように思います。今考えると、もう少しゆっくりとした増量でも良かったなと思います。また内田組のときには、阿吽の呼吸で千葉県最強のセンターコンビになると思っていたざっきゃがやめ、だいぶショックでした。まあウィングとして戻ってきたのでオッケーです。内田組最後の試合では自分のよさを出すことが出来ず、尊敬する先輩たちと勝つことが出来ず、一週間くらい他のことが手につかないくらい悔しかったです。
高橋組になってからはこれまでとは違う意味で辛い日々が続きました。新入部員は0人で、人が少なく活気もない、まともに練習できないような日が続き、内田組の最後の試合の後に持っていた、絶対にベスト4に行ってやるというモチベーションを保つのが難しいときもありました。また、高橋組が始まった直後に腰椎分離症になり、約3ヶ月の離脱を余儀なくされました。この期間は試合に出れないもどかしさなどで本当につらかったです。3年間を通してこの時期が一番嫌でした。たまたま同じ怪我をしているがいがいたため、どうにかして乗り切りました。彼がいて本当に良かったと思います。このようにだいぶ大変なスタートを切った高橋組でしたが、春大会で助っ人も入れて人数ぎりぎりの中で八千代松蔭に勝ち、ベスト4になったときは、人生で一番と言ってもいいほど嬉しかったです。今でも勝った瞬間のことを思い出してニヤつくほどです。
こんなこんじで3年間いろいろなことがありましたが、僕自身ラグビー部に入ったことで心身ともに成長したんじゃないかなと思います。部活に対するモチベーションを完全に無くし、サボりまくっていた中3の僕はこの時期まで部活をやるとは想像もできなかったでしょう。ここまで熱中できるスポーツと、本気で部活に取り組む仲間に出会えたことを本当に嬉しく思います。
もうすぐに最後の大会が始まります。高校の部活に悔いを残さず終われるように最後まで頑張ります。まとまりのない文章になりました。終わります。
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読んでいただきありがとうございました。明日もお楽しみに!