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3年No.8の李拓翔です。最後の大会に際しまして、拙い文章ではありますが、自らのラグビー部との思い出を綴っていきたいと思います。
僕達の高校生活の始まりは通常よりは遅い6月からでした。新型コロナウイルスによる全国一斉休校の影響で、学校に行ってクラスの同級生と初めて顔を合わせたのが6月で、部活の勧誘もその頃始まりました。当初はラグビー部の存在こそ知っていましたが、自分とは一切縁のないものだと思っていました。ラグビー部の勧誘は新入生の間で噂になるほどしつこく、もれなく勧誘された僕は友達と一緒に体験入部をしました。初めて参加したパス練習では、先輩たちの声掛けで雰囲気がとても明るく、楽しかったことを覚えています。その後中学の同級生を誘ったりして練習に何度か参加するうちに、かっこいい先輩たちと練習の楽しい雰囲気に惹かれて、ラグビー部に入るという決断をしました。
矢崎組の先輩方と過ごした期間は短かったですが、毎日の練習や練習試合での新しい発見などラグビーとの関わりに溢れていて、とても濃い時間だったと思います。矢崎組がベスト4目前で学館浦安に3点差で負けた時も、3年生が引退するということが信じられなくて、コート外でただ応援していただけの身でしたが悔しくて泣いていました。
内田組が始まった当初は人数も14人のみで、矢崎組での活気のあった練習との落差を感じていました。その頃になって初めて試合にも出て、まともにコンタクトプレーをするようになり、今まであまり感じていなかったラグビーの「痛い部分」に触れだしたと同時に、弾丸のような内田先輩や筋骨隆々の野口先輩をはじめとする先輩方とのヒット練やタックル練を苦痛に感じるようになっていました。春休みの終盤には練習試合が3~4日続いた時があり、正直心身ともにへとへとでした。その後の春の関東大会予選では、ベスト8手前の八千代松陰戦で負けたことによって秋の大会のシードを失ったので、9月から予選リーグが始まることになりました。
2年生になって、新しく1年生が入部したことで、部も賑やかになり部活へのモチベーションも上がっていたと思います。しかしその後、退部者が出たり、練習や練習試合がほぼ毎日あったりしたことで部活へのモチベーションも下がり、辞めたいと思ったことが何度もありました。そんなこんなで夏休みに突入し、練習や試合に取り組んでいる間はそのような考えも忘れていて、気づけば3年生にとっては最後の大会がある秋になっていました。決勝トーナメントでは芝柏に僅差で勝ち、次の東海大浦安に勝てば学館浦安と試合ができるというところまでいきましたが、東海大浦安戦が内田組最後の試合となってしまいました。
自分たちの代が始まってからは、今まであまり活躍できなかった自分が、ゲインできたり、タックルに上手く入ることができるようになったりして、チームを支える存在になれた気がして嬉しかったです。しかし人数は依然として少なく、新人戦でも思うような成績を残せずに、あっという間に冬が終わりました。ラグビー部としては2度目の春、新入部員との出会いを楽しみにしていましたが、勧誘の甲斐もなく新入部員は0人という結果になってしまいました。そんな中でも高橋組は関東予選で去年の関東予選で負けた八千代松陰に何とか勝つことができ、ベスト4という好成績を収めることが出来ました。憧れであった矢崎組と同じ成績であるベスト4に入ることができた喜びは今でも忘れません。
思い返してみると、高校生活はずっとラグビーと共にあって、辛い時や辞めたくなった時は数え切れない程ありますが、ここまで続けてこられたのも、愉快で個性溢れる3年生や、色々ありながらもこれまで続けてきてくれた2年生、いつもサポートして下さったマネージャー、助っ人として何度も練習試合に参加していただいたOBの方々、多くのアドバイスや技術指導をして下さった森田先生、部員をいつも気にかけて下さった池辺先生や村澤先生、ラグビーの楽しさを部員と一緒にプレーしながら教えて下さった為成先生や練習を見に来て下さった古田先生などの多くの人の支えがあったからだと思います。
気が強くトーク力に定評のある佳士朗、ラクビー部では生き生きとしているオチ、人間関係のだらしないガイ、いつもニコニコでパンパンのヒロキ、なんだかんだチームに貢献するヨネ、チームに必要な助っ人イワサ、多分ラグビーとは縁がありそうなレン、みんなで一致団結して最後の大会では、悔いの残らない試合をします。応援よろしくお願いします!
トレーニングルームには来るがウエイトをしているのを誰も見たことがない。試合ではお得意のマシュマロタックルで相手を突き刺すトリリンガルムーミンボーイ。
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3年No.8の李拓翔です。最後の大会に際しまして、拙い文章ではありますが、自らのラグビー部との思い出を綴っていきたいと思います。
僕達の高校生活の始まりは通常よりは遅い6月からでした。新型コロナウイルスによる全国一斉休校の影響で、学校に行ってクラスの同級生と初めて顔を合わせたのが6月で、部活の勧誘もその頃始まりました。当初はラグビー部の存在こそ知っていましたが、自分とは一切縁のないものだと思っていました。ラグビー部の勧誘は新入生の間で噂になるほどしつこく、もれなく勧誘された僕は友達と一緒に体験入部をしました。初めて参加したパス練習では、先輩たちの声掛けで雰囲気がとても明るく、楽しかったことを覚えています。その後中学の同級生を誘ったりして練習に何度か参加するうちに、かっこいい先輩たちと練習の楽しい雰囲気に惹かれて、ラグビー部に入るという決断をしました。
矢崎組の先輩方と過ごした期間は短かったですが、毎日の練習や練習試合での新しい発見などラグビーとの関わりに溢れていて、とても濃い時間だったと思います。矢崎組がベスト4目前で学館浦安に3点差で負けた時も、3年生が引退するということが信じられなくて、コート外でただ応援していただけの身でしたが悔しくて泣いていました。
内田組が始まった当初は人数も14人のみで、矢崎組での活気のあった練習との落差を感じていました。その頃になって初めて試合にも出て、まともにコンタクトプレーをするようになり、今まであまり感じていなかったラグビーの「痛い部分」に触れだしたと同時に、弾丸のような内田先輩や筋骨隆々の野口先輩をはじめとする先輩方とのヒット練やタックル練を苦痛に感じるようになっていました。春休みの終盤には練習試合が3~4日続いた時があり、正直心身ともにへとへとでした。その後の春の関東大会予選では、ベスト8手前の八千代松陰戦で負けたことによって秋の大会のシードを失ったので、9月から予選リーグが始まることになりました。
2年生になって、新しく1年生が入部したことで、部も賑やかになり部活へのモチベーションも上がっていたと思います。しかしその後、退部者が出たり、練習や練習試合がほぼ毎日あったりしたことで部活へのモチベーションも下がり、辞めたいと思ったことが何度もありました。そんなこんなで夏休みに突入し、練習や試合に取り組んでいる間はそのような考えも忘れていて、気づけば3年生にとっては最後の大会がある秋になっていました。決勝トーナメントでは芝柏に僅差で勝ち、次の東海大浦安に勝てば学館浦安と試合ができるというところまでいきましたが、東海大浦安戦が内田組最後の試合となってしまいました。
自分たちの代が始まってからは、今まであまり活躍できなかった自分が、ゲインできたり、タックルに上手く入ることができるようになったりして、チームを支える存在になれた気がして嬉しかったです。しかし人数は依然として少なく、新人戦でも思うような成績を残せずに、あっという間に冬が終わりました。ラグビー部としては2度目の春、新入部員との出会いを楽しみにしていましたが、勧誘の甲斐もなく新入部員は0人という結果になってしまいました。そんな中でも高橋組は関東予選で去年の関東予選で負けた八千代松陰に何とか勝つことができ、ベスト4という好成績を収めることが出来ました。憧れであった矢崎組と同じ成績であるベスト4に入ることができた喜びは今でも忘れません。
思い返してみると、高校生活はずっとラグビーと共にあって、辛い時や辞めたくなった時は数え切れない程ありますが、ここまで続けてこられたのも、愉快で個性溢れる3年生や、色々ありながらもこれまで続けてきてくれた2年生、いつもサポートして下さったマネージャー、助っ人として何度も練習試合に参加していただいたOBの方々、多くのアドバイスや技術指導をして下さった森田先生、部員をいつも気にかけて下さった池辺先生や村澤先生、ラグビーの楽しさを部員と一緒にプレーしながら教えて下さった為成先生や練習を見に来て下さった古田先生などの多くの人の支えがあったからだと思います。
気が強くトーク力に定評のある佳士朗、ラクビー部では生き生きとしているオチ、人間関係のだらしないガイ、いつもニコニコでパンパンのヒロキ、なんだかんだチームに貢献するヨネ、チームに必要な助っ人イワサ、多分ラグビーとは縁がありそうなレン、みんなで一致団結して最後の大会では、悔いの残らない試合をします。応援よろしくお願いします!
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読んでいただきありがとうございました。明日もお楽しみに!
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