こんばんは(*゚▽゚)ノ
12日目は…
バスケで培ったステップで相手を抜き去る、我が部のトライゲッター。食事のスピードとステップの速さだけはチーム1。二郎系ラーメンの食べ過ぎで血液検査に引っかかり、今は食事制限中らしい…。小田 岳彦(CTB)!
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矢崎組CTBの小田岳彦です。県千葉ラグビー部の一員として練習できる日々も残りわずかとなってしまいました。高校ラグビー人生の終わりを迎えようとしている実感はまだありませんが、山あり谷ありの3年間を振り返りたいと思います。
他の部員と同じように、僕も入学当初は、まさか自分がラグビー部に入部するとは思っていませんでした。6年間バスケをやっていたこともあり、当然高校3年間もバスケに捧げるつもりでいました。改めて思い返すと自分でもすごい選択をしたなと思います。
小柴組ではWTBをやらせていただきました。しかし、胸を張ってレギュラーを勝ち取ったのだと言えるほどの技術も経験もなく、先輩方にカバーに回ってもらうことが大半でした。何もできない自分が情けなくて、チームにとってプラスになるためにはどうすれば良いか毎日のように悩んでいた時期が今では懐かしく感じます。上級生とのコンタクト練習で、身も心もボロボロになるような辛い日々が続いたのですが、見捨てることなく最後までリードしてくれた小柴先輩には本当に感謝しています。
加曽利組になるとCTBとして試合に出るようになりました。当時の僕は175cm 63㎏とCTBをやるにはあまりにもひ弱な体型でした。多くのチームは2年生がCTBをやっていたので、その体格差から何度もふっ飛ばされ、なぎ倒されました。特別足が速いわけでもなく、パスやキックのスキルもありませんでした。また、タックルに関してはかなり下手くそだったので、何度も挫折を経験しました。脳震盪を4回、首の捻挫、前歯のひび、熱中症で41度の発熱で緊急搬送、グランドの土で喉が膿むなどなど。間違いなく17年間で最も辛い1年でした。特に4回目の脳震盪の時は、ラグビーを続ける意思を完全に失い、親や仲間に辞める決意を語るほどでした。辞めることで仲間からの信頼を失う恐怖と、もしまた頭を打ったら命に関わるのではないかという恐怖との葛藤から、決断をするのに1ヶ月もの時間がかかりました。そして、なんとか継続する道を選ぶことができました。その時、親身になって相談に乗ってくれた二村には感謝しかない、ありがとう。
怪我多き一年だったので、外から見ることが多くなりました。最初は、みんなとプレーできないもどかしさを感じていたのですが、先輩や"為さん"のボールのもらい方やパスの投げ方、タックルに行くまでの姿勢など自分に足りないスキルを見学によってたくさん吸収することができた時期でもありました。吸収したことを試してみたり、上手い人の動画を見て練習したりしているうちに、ようやくラグビーの楽しさに引き込まれていきました。
体重の増量から、タックル練、パス練、ステップ練まで自分ができる最大限の努力をして迎えた春の大会。初戦から毎試合ゲインラインを突破するプレーができ、アタックに自信が持てるようになりました。今までの頑張りが花開いたようでした。
冬には都県対抗戦にCTBとして60分間プレーするという、貴重な経験をすることができました。高1の冬に千葉県代表として加曽利先輩が戦っている姿を見て以来、同じ舞台で戦うことを夢見ていたので、ようやく努力が実を結んだよう思いでした。
ここで1、2年生に伝えたいことは、しんどい時期は誰にでもあるし、辞めたくなることもあると思うけど、努力し続ければ自分の理想像に近づけるはずだから、例え今辛くても必死にしがみついて頑張ってほしいということです。パス練やキャッチ練、ラントレや筋トレも無駄になることは決してないから、やらされていると思うのではなく、自分のため、チームのためだと思って頑張ってください。
矢崎組で新人戦ベスト4を勝ち取り、ここからという時にコロナ禍に見舞われました。やっと本格的な練習できるようになった矢先に、僕は体調不良により、前線から退くことになってしまいました。結局最高学年としてラグビーが出来たのは5ヶ月足らずでしたが、コロナの自粛期間が明けてからも、誰一人欠けることのなかった矢崎組の一員でいられることをうれしく思います。
勝ちに貪欲なチームメイト、汗臭い部員を最後までサポートしてくれたマネージャー、熱く指導してくださった為成先生、古田先生、池辺先生、転任されてからも気にかけてくださった中嶋先生、手厚い支援をしてくださったOB・保護者の方々、どんな時も自分が選んだ道を後押ししてくれた家族のために、1秒でも長くグランドに立って最高のプレーをしたいと思います。3年間ありがとうございました。
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読んでいただきありがとうございます!
明日からも、是非ご覧ください(´▽`)